2009-12-05

内と外(5)

田中史生「越境の古代史」を読んだ。
これこそ歴史教科書だという気がする。記述が生きている。
何よりも表面的な日本の歴史にこれまで登場しない様々な人物がいきいきと見えるのはなぜだろう。
著者も導入部で述べているように、まさしく内なる日本という国家概念がまずありきで記述される歴史ではいかに味気ないものかがこの書物を読むと実感される。
内と外の記録の照合という単純な作業を愚直に行い、現地で事実を確認することがいかに説得力のあるものとなるかというすばらしい見本だろう。
日本の学問の水準がこうして中国、韓国などの学者との交流を経て充実していくのはわくわくするような期待をもたせる。真実はひとつだし、確認できる事実は少ないが、しっかりと地に足の着いた学問というのは着実な成果を挙げるものだということをこの書物は示してくれる。

2009-11-24

物々交換

モース「贈与論」を新訳で読んだ。
物々交換に関する洞察は幅広く、表面的に物々交換と見ている分析も、実は物々交換などではなく贈与の体系として経済生活、部族生活、道徳生活のすべてに行きわたり、浸透しているということが見えてくる。この見方によると生活は永遠に与えることと取ることである。これらは事例を特定の部族に限定して採用しているが現代のわれわれの生活の根底にその思想は残存している。いや残存でなく、これらの体系が現代の経済、道徳を支えている。これを見ていると、経済学者の議論が浅薄に見えてくるから不思議だ。全体性の魔術ともいえるだろう。さまざまな書評にも書かれているが、この書物は限りないインパクトを与える力を秘めている。

2009-08-04

詩に対する批判とその解決

詩に対する批判としてまず、詩作の技術そのものとの関連において解決しなければならない批判がある。
アリストテレスの「詩学」第25章からの引用
「不可能なことが詩につくられた、これは誤りである」といわれる。しかし、不可能なことを詩につくるのは正しいことである、もしそれによって詩作そのものの目的-その目的については既に述べた-が達成されるなら、すなわち、もしそれによって当の部分または他の部分がいっそう人を驚かせるものとなるなら。その一例は、「イーリアス」におけるヘクトールの追跡のくだりである。
「イーリアス」8・489以下のトロイアー軍の集会でヘクトールがかがり火をたくよう部下たちに命じ、薪が集められてかがり火が燃える場面が語られ、ついで9・13以下のギリシャ軍の集会の場面でトロイアー軍のかがり火のことが取りあげられるが(76-77)、このことはトロイアー軍の集会とかがり火の場面と、ギリシャ軍の集会の場面とが同時に進行していることを示す。(松本仁助・岡道男訳注、以下同じ)
同様のことを悲劇について考えてみると、いまAを舞台の上で起こるとするなら、Bは舞台の外で(Aと同時に)起こって、Aのあとで「報告」の形で舞台上の人物に伝えられることになろう。ここでは、AとBが同時に起こった出来事であったことをあとから示すのは可能であるけれども、叙事詩におけるように両者が同時に起こりつつあることを示すのは不可能である。したがって、再現されるのは舞台に結び付けられる部分(すなわちA)だけということになる。

2009-07-27

しんとくまると口頭伝承

坂部恵「かたり」を読んで著者のするどい感受性に感嘆した。
折口信夫の「しんとくまる(身毒丸)」を引き合いに出して森鴎外の山椒太夫の持つ限界を指摘し、柳田国男の構想の真意をあざやかに浮き彫りにしている。
<かたり>というような大きな言語行為の考察にあたっては、送り手、受け手をともに含めたその<主体>は、当然のこととして、個人のレベルをはなれて、より大きな共同体の<相互主体性>のレベルにまで、さらにときには神話的想像力の遠い記憶の世界にまで及ぶ下意識あるいはいわゆる集合的無意識のレベルにまで拡大深化されることがほとんど不可欠の前提となる。しかし、まさにこの領域こそ、さまざまの努力にもかかわらず、現代の哲学・人文科学がなお多くの未開拓といえる部分をのこしている当の分野にほかならないのである。(34ページ)
現在のフランス語やスペイン語にはかたりの時制のなかにさらに半過去ないし未完了過去と単純過去という区別が見られるそうだ。単純過去はギリシャ語など古典語の文法においては通常<アオリスト>と呼ばれるものにあたり、現代語においては文章語にしか使用されることがない。そして、この<アオリスト>は悲劇をはじめとする文学作品の<かたり>において頻繁に使用され、さまざまな用法をもっている。<かたり>の時制は単なる過去というよりは、まさにかたりという独特の発話の態度の相関者としての特有の時間の存在様相にかかわるものであることを示している。(80ページ意訳)
そして、坂部はこう述べている。
わたくしは、かねてから、まったく仮のはなしとしてではあるが、アオリストを、悲劇の舞台上のヒーローやコロスのかたりに痕跡を残す神がかりした巫祝のかたりの時制でもあったと想定してみると、さまざまな用法を持っているアオリストの時制は容易にひとまとまりのとりわけての<かたりの時制>として説明できるのではないかと考えている。(81ページ)
そして、ヴァインリヒの用語にいう<ゼロ段階>と<回顧時制>のみを持ち、<予見時制>を持たないというアオリストの特質が、おなじ<かたりの時制>でも<背景の時制>のほうは、実際のかたりにおいてしばしばきわめて重要な役割を演ずる<予見時制>をもつのと際立った対照をなすと指摘している。
すなわち、アオリストが<予見時制>をもたないということは、いいかえれば、この時制に限って、ヴァインリヒのいう「先行情報に必然的に付随している不確実性」にあずかることがたえてないことを意味すると考えられる。(162ページ)
物語の図柄を際立たせる<前景の時制>としてのアオリストは、この点で他のすべての時制に対して例外をなし、まさに、(むしろ、<回顧時制>の特質としての)確定的な定まった過去の1回的でかつ繰り返し不可能、逆転不可能な出来事を述べることをその特別な役割としてもつ。(163ページ)

坂部恵のこれらの指摘は「他者のような自己自身」(ポール・リクール)を読んだ直後だけに心にしみわたる響きがあった。
私は、かねてから不可能なことをどう表現したらよいのかわからなかったが、ここにヒントがあると感じた。

2009-06-19

中国語の部屋・・・(またしても内と外(4))

サールの中国語の部屋に関する議論でTHE REDISCOVERY OF THE MINDに於いて追記されたこと。
(318ページから)シンタックスは物理的構造に本来固有のものではない、という議論をしているのだ。「中国語の部屋」のもともとの議論の目的のために、私は<コンピュータをシンタックス的に特徴づけることには、何ら問題もなかった>と想定していた。しかし、これはまちがいである。なにか、<本来的にデジタルコンピュータであるようなものがあること>を発見するなどということは、決してない。なぜなら、それをデジタルコンピュータとして特徴づけることは、そのシステムの純粋に物理的特性へのシンタックス的解釈を割り当てる観察者がいて、常にそのような観察者との関係において行われるからである。<思考言語>仮説に適用すれば、いま述べたことは、この仮説が整合性に欠けるという帰結をもたらす。<あなたの頭の中には本来固有の仕方で文であり、しかも知られない文が存在する>ということが発見されるなどということはありえないのだ。そもそも何かが文となるのは、それを文として使用する主体か使用者がいて、彼らとの関係でのみ文となるからである。計算操作的モデル一般に適用すれば、こうなる。コンピュータ的計算操作としてプロセスを特徴づけることは[そのプロセスを実行しているとみなされる]物理的システムを外から特徴づけることである。そのプロセスを計算操作的と見なすことは、物理的構造の本来固有の特性を特定することではない。それは、本質的に観察者に関係した特徴づけなのである。
(中略)<何かが計算操作プログラムとして「機能している」>と言うことは、<物理的出来事のあるパターンが起こっている>という以上のことを言っているのだ。それは、ある主体により、そのシステムが計算操作をしているという解釈が割り当てられることを必要としている。アナロジー的に言えば、自然の中には、椅子と同じ種類の形をした物体が発見されるかもしれないし、それは椅子として使用されるかもしれない。しかし、それらを椅子とみなし、椅子として使用する主体との関係を除外しては、自然の中に、椅子として機能している物体を発見することはできない。
この議論を読んで、カール・マルクスの資本論を思い出した。彼も結局この内と外のことを議論しているんだ。

2009-05-18

内と外(3)

建仁寺と東福寺で勅使門、恩賜門というのを見た。庭園にある壁は内側からは無いものと思って外部世界へ開かれており、外部から来る使者には(方丈という接待場所である)内部への接待の入り口となるそうな。またしても内部と外部という境界の話だ。
お坊さんの説明がはっきりとこういった説明だったか記憶していないが、この説明を聞いていて関係が無いはずのひとつのことに捉われてしまいあとの話をうわの空で聞き逃した。

さっそく家に帰って確認したこと。マルティン・ハイデガー「芸術作品の根源」に次の言葉がある。
開けの空け開けることと、開けたところの内へと整えいれることとは、共に属しあう。それらは真理の生起の同じ一つの本質である。真理の生起はさまざまな仕方で歴史的である。(99ページ)
また、補遺では次のように言っている。(139ページ~)
真理を「確立すること」は、それを「生起させること」とけっして背反するものではない。というのは第一に、この「させる」は、いかなる受動性でもなく、むしろテシスの意味での最高の行為[Tun]であり、「実存する人間が自己を存在の不伏蔵性の内に脱自的に放ちいれること」として特徴づけられた、「働き」と「意欲」だからである。第二に、真理を生起させるの「生起」は、空け開けと伏蔵として、いっそう厳密には両者の一体化として支配する運動であり、あらゆる自己空け開けがもう一度そこから由来するところの自己伏蔵そのものの空け開けの運動なのである。この「運動」は、それどころか、こちらへと-取り-出すこと[生み出すこと]という意味での確-立さえ要求する。この[取り-]出すことは、創作する(汲み取る)という仕方での<こちらへと-取り-出すこと>であり、「むしろ、不伏蔵性への連関の内部では受領することであり引き出すこと(なのである)」。
これらのことで、立て-集め[Ge-Stell]の意味も規定される。現代技術の本質を言い表す主導語として用いられた語、「立て-集め」[Ge-Stell]は、ギリシャ的に経験された<前に横たわらせること>、すなわちロゴス[λογοζ]に由来するのであり、ギリシャ的なポイエーシス[ποιησιζ]とテシスとに由来するのである。・・・と。

2009-04-29

現実の表現と社会の反応

スチーブン・ピンカー「思考する言語」を読んで、その中で指摘されている事実。「論理学や科学で用いられる概念では現実と直観がうまく折り合わないように見える」(上巻156ページ)というのは、言語研究者なら誰でもが感じていることだろう。ただ、それをどういう文脈でどのように表現するかがむつかしい。文学の出番がそこにあるといえばそうなのだろうが、なにやらみもふたもない話にもなる。
ケネス・クラーク「風景画論」で論じられるセザンヌはそれでもまさにこれを実践した巨匠だろう。クラークはこう書いている。
すべて芸術には、自然の外観の選択と支配が伴う。この選択と支配は、芸術家の気質を全部反映させるはずである。セザンヌがあの特徴的な形態を選んだとは、ただ自分の自然観をおもてに表したということである。だが彼はこれらの形態の使用にさいして、自己の意図するものに関する完全な意識を所有していたことは疑いない。(中略)自然主義が幅をきかせた時代にありながら、絵画とは自然に匹敵する秩序ある調和なりと断ずるほどの透徹を所有していたのである。(310ページ)
ピンカーが論ずるように人は、ある概念が世界に存在する実体を指すこともあれば、そうでないこともあるという直観や、世界についての信念が真実であることもあれば、単にそう信じているだけのものでもあるという直観をもつ。人はこうした直観の力を借りてアナロジーが世界の因果構造に忠実であるかどうかを見きわめ、不適切な部分を取り除いて説明として役立つ部分だけを残そうとする。
もちろん、私たちがメタファーと組合せという二つの力をもっているとしても、真実だけを生み出す能力を備えている者は誰一人いない。一人の人間の心だけでは経験にも創意工夫にも限界があるし、たとえ多数で構成された集団であっても、そこで生み出されたものを集積したり選別したりすることは、集団内の人間関係をそのために再調整しないかぎり、ありえない。日常生活上の考えの不一致は、「体面(フェイス)」を重んじる私たちの意識を脅かす可能性があり、だからこそ人は他人と礼儀正しく会話しようとするときには、天気の話や役所の無能ぶり、機内食や寮の食事のまずさなど、合理的な人間であれば誰もが同意するような話題に終始する。もっとも科学や経済、政治、ジャーナリズムなど、知識を客観的に評価することを本分とする領域においては、こうした堅苦しい礼儀正しさに代わる方法を探らなければならない。(下巻219ページ)
堂目卓生「アダム・スミス」で紹介される社会は、こうした人のもつ傾向について社会がどういう圧力をもたらしているかを「道徳感情論」に即して述べている。
世間は、意図したにもかかわらず意図したとおりの結果を生まなかった行為に対して、基本原則が示すよりも弱い賞賛または非難しか与えない傾向をもち、意図しないにもかかわらず偶発的に有益な、または有害な結果をもたらした行為に対して、基本原則が示すよりも強い賞賛または非難を与える傾向をもつ。(47ページ)
アダム・スミスの考えていた社会はおそらくここに理解すべき背景の核心があると思われるが、堂目卓生は次のように説明している。
世間の評価は偶然によって影響を受けるため、胸中の公平な観察者の評価とは異なるときがある。私たちの中の「賢明さ」は、胸中の公平な観察者の賞賛を求め、非難を避けようとする。しかしながら、私たちの中の「弱さ」は、胸中の観察者の評価よりも世間の評価を重視し、また、自己欺瞞によって、胸中の公平な観察者の非難を無視しようとする。そこで、私たちの中の「賢明さ」は、胸中の公平な観察者の非難を避け賞賛を求めるように行動することを一般的諸規則として設定する。こうして、私たちは、一般的諸規則に従う義務の感覚を養う。私たちは、一般的諸規則のうち、正義に関しては、それを法という厳密な形にする。法と義務の感覚によって、社会秩序が形成され、維持される。しかしながら、私たちの中の「弱さ」は、私たちの義務の感覚を弱め、私たちに法を犯させることもある。したがって、現実の社会において、秩序は完全なものにはならない。(102ページ)

2009-03-10

文化ということ

木村敏の「自己・あいだ・時間」を読んでいて分裂病(今日の呼称では統合失調症)などの精神疾患を理解するためには西洋的二元論では限界があるとの記述がある。
すなわち、精神疾患を個体内部の病変とみなさず、個人と世界との関わりの病態とみなしさえすれば、文化と精神病理の間の二元論は不必要になる。そして文化の場と精神病理の場とは端的にひとつに重なり合って、両者の間には相互外在的な規定、被規定の関係ではなくて、直接無媒介的な共根源性が成立するというわけだ。
木村敏によればこれを裏付ける話として日本人の「自然」に対する理解がある。以下そのくだり。(441ページ)
「自然」における「自」の文字に「おのずから」の意味を託した古代の日本人は、同じ「自」の文字に「みずから」の意味をも託した。しかも「自」の文字は、語源的には元来、「起始、発生」を意味する。「おのずから」と「みずから」という一見相反する二つの意味が、ともに「発生」を意味する一個の文字によって表現されえたということは、古来の日本人の自然観を見ていく上で重要なことである。やや図式的にいえば、古来の日本人は自然と自己とをその共通の根源である「発生」の相において共属的に捉えていたということなのである。日本人にとっては、自己と対峙するものとしての自然は存在しえなかった。そのかわり、実生活のあらゆる局面で身の回りにふと湧き出る情感を直接肌身で感じ取った上で、これを自分のほうへ引き寄せて「自己(みずから)」といい、これをものの世界のほうへ仮託して「自然(おのずから)」といっていたのである。自己はそのまま自然に映し出され、自然は自己を染めつくしているといってもよいだろう。
木村敏によれば、西洋と日本における自己と世界との関わり方の基本的構造の違いは、そのままそれぞれの土地に住む種的主体がみずからを取り巻く自然との交渉を通じて、自己の存在を確保していくための形成行為としての「文化」の構造的差異にも、反映しているものと考える必要がある。

これらの記述を読んで想起するのは西洋でも非西洋的な考え方をしていたゲーテの生理的色彩に関する記述だ。ゲーテは生理的色彩が主観に、すなわち眼にまったくあるいは大部分属しているという理解をしていた。
ゲーテ「色彩論」日本語訳注を書いた木村直司によれば、ゲーテにおいて人間と世界、主観と客観は密接な相関関係にあり、主観の中にあるものはすべて客観の中にあり、客観の中にあるものはすべて主観の中にあって、しかも両者は完全に同一ではない。ゲーテが色彩現象の観察にさいして生理的色彩にまず注目するのは、視覚というものが客観的な自然のたんなる反映ではなく、色彩の知覚には眼が活動的に関与していることを強調するためである。(本文第6節、第38節)これによって現象は主観と客観の関係として成立する。(447ページ)

木村敏も西田幾多郎の次の言葉を引用している。(272ページ)
私が汝を知り汝が私を知るとは何を意味するか。私は直観ということを自己が自己を知ることから考えた。そして自己が自己を知るということは自己において絶対の他を認めることであると言った。併しかかる関係は直ちに之を逆に見ることができる。自己が自己の中に絶対の他を認めることによって無媒介的に他に移り行くと考える代わりに、かかる過程は絶対の他の中に私を見、他が他自身を限定することが私が私自身を限定することであると考えることである。私が内的に私に入って来るという意味を有っていなければならない。

そして、木村敏が「和辻哲郎」を引いて強調しているように(上記のゲーテも同じことが言えるだろうが)次の点が重要だ。
和辻の風土論に対しては、実証的・科学的な文化人類学者の間から多くの批判が提出されている。たしかに客観的事実に関する限り、和辻の知識はまだきわめて制約されていたし、現在から見ると不正確な点も多いだろう。しかし、和辻のめざしていた風土理解はそのような客観的・実証的な形のものではなかった。和辻風土学の底を一貫して流れているのは、主観性(ノエシス)としての、あるいはむしろ「間主観性(ノエシス)」としての人間存在の自己理解の場所としての、主観(ノエシス)的風土の解釈学であったのである。比較文化精神医学が、自然科学的精神医学とは異なった本質理解の上に立つ人間学的・現象学的な精神病理学に何らかの寄与をなしうるとするならば、その文化理解が依拠する自然論・風土論も、自然科学的文化人類学とは異なった基盤の上に立つものでなくてはならないだろう。(443ページ)